記憶に残しておきたい「國信の豆腐作り」の原風景
かつての國信の豆腐小屋について私が所有している画像をまとめました。
國信豆腐の生い立ちと、当店が大事にしている豆腐作りの原風景です。
豆腐作りの始まり
國信の豆腐作りは1953年に始まりました。
まだ貧しい家も多く、食べるものも地場で得られる作物や魚だけ。
きっかけは公的機関からの栄養指導が國信地域であったことでした。
まだ終戦から8年。
栄養改善など個人の努力ではどうしようもできません。
そこで声を上げたのが村の女性たちであったと聞いています。
「村で豆腐を作ろう」
そうして村で共有の豆腐小屋が建てられ、國信地域の豆腐作りが始まったのです。
國信の原風景
この写真をご覧いただいてわかる通り、女性が中心となってかつては豆腐作りが行われていました。
午前2時にかまどに火をいれ、ゆっくりと鉄の大釜を加熱し、呉汁(大豆を水に合わせてすり潰したもの)を煮込む作り方は現在も変わりなく、道具もこの写真当時の物がまだ使われています。
使用する大豆も地元で栽培されたもので賄います。
この写真の大釜もまだまだ現役で頑張ってくれています。
バケツの中の硬貨がわかりますでしょうか?
あくまで地域の集落内で消費するものなので、これくらいおおらかなノリです。
持ち帰りも水をはったバケツに豆腐を浮かべて持ち帰るスタイルです。
今ではなかなかこのスタイルの販売方式の豆腐は見られないですね。
私も幼少のころ、名前を書いた紙とお金を入れたバケツを小屋へもっていった記憶があります。
正直申しまして、幼少の私にとってこの豆腐小屋はあまり印象に残る場所ではありませんでした。
なぜなら豆腐小屋は國信の当たり前の風景の一つでしかなく、前述のバケツを持っていくための場所でしかなかったからです。
大人になってそれが全く当たり前でないことに初めて気づきました。
それでも当時豆腐を買いにお使いに出るときは、その行為を通じて村の何かに触れるような、大人の社会に一時参加する誇らしげな感情があったように思います。
國信の女性たちによって始まった豆腐作りは、現在私たちとうふ屋葉月と数名の男性によって引き継がれております。
今も毎週水曜日に注文の数に合わせこの豆腐小屋で豆腐が作られています。
当然のことながら豆腐作りに労賃が出るわけではありませんが、昔からの馴染みが豆腐小屋を訪れる限り、鉄釜の火が絶えることなくこれからも続いていくのではないでしょうか。